【ボランティア白書】「市民社会を築くボランティア」という考え方はまだ日本に定着していない

興梠 寛さん(昭和女子大学教授・コミュニティサービスラーニングセンター顧問)

■ボランティアは市民が自由意志で行動する“権利”です

 私は『ボランティア論』の授業の中で、2001年のボランティア国際年にIAVEが出した「ボランティア宣言」を紹介するのですが、ほとんどの学生が「目から鱗が落ちた」という感想を述べます。

 それくらい「ボランティアが市民社会を築いていく」という考え方は、学生たちがそれまで捉えてきた「慈善」的ボランティア観と大きく違っており、新鮮に映るようです。逆に言えば、それくらいその視点は広まっていないのが現状です。

 私は、もともとイギリスのシチズンシップ教育を1980年代から追いかけています。日本では、1970年代から『全国ボランティア研究会』(日本青年奉仕協会主催)が開かれていますが、活動領域を超えて多様な活動者が24もの分科会に集い熱いエネルギーでボランティアの理念と実践について2泊3日で討論されました。その中で一貫して集会テーマとして強調されたのが、「市民としての自立」というメッセージです。この集会は、1994年に日本で開催された『IAVE世界ボランティア会議』に結実していきます。

 日本での世界会議を『IAVE日本』の皆さんや、『日本経団連』の企業の皆さんとプロデュースさせていただいたことは、私にとっても大切なモニュメントです。

 

■市民社会の成熟より“行政依存”の社会がすすんでいる

 最近の日本の社会は、むしろ保守化しているのではないかとさえ感じるくらいに、行政依存の社会が進んでいると思います。もちろん、行政のサービスが充実してきた結果だとポジティブに捉えることもできますが、すべての暮らしの課題が行政政策への要望を中心にまわっているよう傾向が顕著ではないかと思います。

 いま、深刻さを深めている「コロナウィルス感染危機」の問題でも、国や行政の施策を中心に議論されている。当然のことだとは思いますが、もっともっと「市民社会」の役割や取り組みもクローズアップされて議論されてもよいと思うのですが。

  私たちの社会は、行政セクター、企業営利セクター、市民非営利セクター、地縁・血縁セクター4つの「社会的問題解決力」で成り立っています。身近なコミュニティにおいても、グローバルコミュニティにおいても、「自分たちの暮らしの課題は、自からの力で解決していく」という自律的パワーが民主主義社会をささえている。しかし、そうした意識が日本では1970年代や80年代と比べて全体的に弱くなっている印象があります。

 ボランティアやNPOに対する意識も、相変わらず「無償で何かをする」という狭くて偏った意識のなかに低迷しています。私の同僚の大学教員ですら、NPOが学生から参加費用をふたんさせることに異論をとなえる。また、法人格を持つNPOが多様化して増えてきたとはいえ、行政なら信用するけれどNPOは信頼性にかけるなどと偏見を持つ地域の住民はまだまだ多い。支援者でも「寄付はするけど、人件費には使わないで」と注文をつけることもしばしばです。

 

■保守的な政治家や行政関係者には、いまだに「市民」という言葉へのアレルギーがある

 私は文部科学省の中央教育審議会に関わってきましたが、議論場では「道徳の教科化」については厳しい意見を述べてきました。教育にとって「道徳」(Moral)について学ぶことは大切です。しかし、「道徳」観は時代の変化、国家や宗教的背景によっても変化していく。だからこそ、体験的に醸成されていく「価値」(Value)によってささえられてなくてはならない。「お年寄りを大切にしよう」と呪文を唱えても、「生命の尊厳」や「人生の先輩の経験知」を尊敬する心は育たない。ボランティアは、そうした「体験的価値意識」を醸成する大切な学びでもあるのです。

ボランティアは、「コミュニティを学びの場にして、発達段階に応じて社会の課題を体験的に学び、その解決のために取り組むことで、社会で生きる重要な価値について学んでいく」と説明すると、学校の先生たちはその重要性について理解しやすい。

しかし、まだまだ、行政の関係者においては「市民活動」「NPO」という言葉に対する拒絶反応がまだまだ根強いですね。

 イギリスにおいて、長年にわたりボランタリーセクターが取り組んできた「市民教育」(Citizenship Education)がブレア政権によって2002年に必修化し、行動的市民セクターの強化が必要という認識が共有されました。アメリカにおいては、独立宣言でボランタリズムを謳い、「ボランティアがアメリカの社会を創造し、やがてボランティアは政府・行政をつくった」という言葉にあるように、市民社会の基盤は日本にくらべてしっかりしています。

 だからこそ、国連が提唱する「SDGs」は、世界の政府・企業・市民社会のパートナーシップによってすすめている。

 

■若者は市民社会を築く希望への光です

 私は、1981年から仲間たちと『世田谷ボランティア協会』を設立し、市民が中心となって運営するボランティアセンターを設立し、40年近く運営に参加してきました。いまでは、役員はボランティアですが約100人の有給スタッフを抱えて、年間4億円近い予算規模で活動しています。

 また、大学の教員をしながら、学生とともに2011年から東日本大震災の被災地、女川町の人びととボランティア交流をつづけたり、長野県の伊那谷に暮らす人びとと交流をしたり、タイ・ミャンマー・ラオス国境、トライアングル地帯に暮らす山岳少数民族に人びとの人権と文化の擁護のための活動をつづけています。

 全国の学生に呼びかけて、2013年から開催した『全国学生ボランティアフォーラム』(実施主体:学生実行委員会、主催:国立青少年教育振興機構、協力:日本ボランティア学習協会・学会、2泊3日)には、回を重ねるごとに100人以上の学生参加者が増え、第6回には全都道府県から169大学・900人の学生が参加しました。その募集媒体は“クチコミ”でした。韓国、中国、台湾、香港、イギリス、アメリカからも参加者がいました。

 こうした試みを世田谷でも開催したら200人の学生が集まりました。若者は、ボランティアに何かを希望を求めているのです。

熊本では、高校生自らが企画運営をする国際ボランティアワークキャンプを行っています。これは熊本市国際交流振興事業団がサポートし、高校生自らが実行委員会を作り、1年間をかけて準備し実施するもので、毎年150人を超える高校生や留学生が参加しています。内容的にも、大変レベルが高いプログラムですが、いまでは地元の企業やNPOなどが応援し14回も継続されてきました。

若い世代は、何の抵抗感もなく「ボランティアが市民社会を創っていく」ことの意味を吸収していきます。シニア世代も“トシをとっている”場合ではありません。市民に定年制度はありません。ボランティアは生涯にわたって“現役”なんですから。

それは、IAVEの「世界ボランティア宣言」にとって明るい希望の光です。